傲慢な人、傲慢な人、傲慢な人

 傲慢な人っていますよねえ〜。ゴウがマンマンしている人。簡単に言えばジャイアンってことなんですけど、ジャイアンは映画版でわりといいヤツじゃないですか。ジャイアンの声の人はヒプノシスマイクだし。ここで言いたいのは概念としてのジャイアン、傲慢ってことなんです!

 

 気付きました?

 

概念としてのジャイアン傲慢

 

 韻を踏んでいるんですよ。ヒプノシスマイクも真っ青じゃないですか? 私は何ディヴィジョンですか? ちょっと全然詳しくないので自分でもさっぱりです。お腹が空いたので今日はパスタを機械で茹でて食べます。1.5束。

 

 気付きました?

 

今日はパスタ機械で茹でて食べます。1.5束。

 

 全然韻を踏んでないんですよ。世の中の文章には二通りあって、韻を踏む文章と、韻を踏まない文章がある。勉強になりました。スーパーの前で繋がれてる犬、ミニ四駆になってたら飼い主泣くかな。

幽霊について

 幽霊は怖い。執拗に扉を叩いたり、おっぱいを引っ張ったり、怖い声を出したり。そういう事をするのはやめてください、と何度も言うのだけれど、幽霊は我関さずといった調子で僕を怖がらせる。怖い。おばけと幽霊は本当に怖いので、早く自衛隊に退治してもらいたい。

野獣宣言

 野良犬と本気で戦って負傷した人間が星の数いるだろうと推測して、話を進める。
 僕は野良犬よりも腕力が強い。狂犬病のように厄介な補助攻撃魔法を持つ野良犬ならばいざ知らず、そんじょそこらの野良犬には絶対に負けやしない。ものの10秒でチグしてハグしてゲームオーバー。何の後腐れもなく帰宅してごはんを食べる。


 思うに、野良犬とは現代人の意識下に眠る破壊衝動、それに伴う性衝動(リビドー)を具現化した存在なのではなかろうか。かのフロイトは夢の中で全裸の美女を思い描いた所為で弟子のユングに散々罵倒され、テムズ川に身投げした。人生とはテムズ川のようなものであると言っても、何ら問題はないだろう。
 だが実際の野良犬は野良の犬である。飼い殺しにされていた犬が野生の本能を呼び覚まし、人に噛み付いてしまうケースは珍しくない。そういう犬は棒っきれでボコボコ殴られて道に捨てられる。犬への愛情とはいつも一方通行なのだ。
 問題は野良犬の飼い主である。理知的な振る舞いを心掛けながらもコートの下は淫売である場合が殆どだ。かく言う僕も淫売である。往来を行く人々に自分の疼く体を慰めてもらいたい、という欲望がある。隠し切れぬこの情熱! 今夜私は野良犬と交尾をする!

涙の理由

 ある朝僕が目を覚ますと、金縛りになった血まみれのおばあさんが横で寝ていたんだ! 心底びっくりした。そのような事実は一切ないが、読者受けはしそうなのでこのまま続ける。
 老婆は僕が目を覚ました事に気付くとしゅるしゅると着物の帯を解き、襦袢だけの姿で僕に襲い掛かった! 驚いて傍にあった拳銃をぶっ放すと老婆は着弾の衝撃で向かいの壁に勢い良く叩きつけられた。ぐぷっ、と赤黒い血を吐き出す老婆。被弾した腹を押さえてうずくまり、うううっ、と小さな声を漏らす。冷静になった俺は老婆の元へ駆け寄った。「大丈夫か!」と声をかける。すると老婆は「ふふふ…大きくなったねェ…」と力なく微笑んだ。あれ…この顔は…?


 ああ、俺は何という過ちを犯してしまったのだろうか!


 この人は、俺の、お母さんだ!


 出来るならこのような形で再会したくなかった。俺がまだ小さかった頃、父の暴力に耐えかねて行方をくらましたお母さん。実に20年ぶりの再会。それを俺は…。
 母の亡骸を腕に抱き、声にならぬ声をあげながら涙を流す俺。ぽたり、涙の粒がお母さんの肌に落ちた。するとどうだろう。お母さんの肌がみるみるうちに赤みを持ち始め、止まっていた心臓もまるでランナーズ・ハイ状態。お母さんはムクリと起き上がると、ギギギ、とうめいた。メカお母さんの誕生だ。

CIAO

 みなしごをウエストポーチに詰めてフィレンツェの優美な街並みを闊歩するのが僕の夢だった。ぎゅうぎゅう詰めのみなしごたちはうんうん唸りながら、僕の目を見つめて少しはにかむ。その姿がかわいらしくて、僕はちっちゃな投げキッス。イタリアの街は陽気な街。トレビの泉にみなしごたちを投げ込んで、またイタリアに来れたらいいね、って彼とお祈りしたの。チャオ! イタ公ども! 真実の口の中には宝物があるぞ~!